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立教176年春季大祭 真柱様神殿講話の中から・・・

皆様、こんにちは(^O^)

日々、ご苦労様でございます!

先日、春季大祭での真柱様のご講話が心にきたと書かせて頂きました。
先週金曜日に手配りにて届いた、天理時報に要旨が掲載されています。

先日私用にて天理へ行く電車の中で、読ませて頂き、やはり分かり易かったです。

田鶴だより3月号に掲載予定ですが、ご多忙の皆様にも、少しでもお届けできるようにブログでも取り上げさせて頂きたいと思います。

このようなお話は、何度聴いても何度読んでも、良いわけです。繰り返し、思案するうちに、分からなかった所がすっと入ってきたり、何とも感じなかった部分が心に響いたりすることがあります。


さて、今日は、ご講話の中から、私的に考えていた部分を、分かり易く教えて頂いている部分を、抜粋させて頂きます(^-^)



先に、おつとめを神一条の心で一手一つに勤めることが大切だと申したが、一手一つとは、皆が一つの目的に向かって、それぞれの役割をしっかり果たすとともに、全体としての調和を保って行動することである。その最初の姿、お手本ともいうべきものを、元初まりにおける道具衆の働きに求めることができる。
 親神様のもとに、引き寄せられた道具衆は、人間を造り、その陽気ぐらしを見て共に楽しみたいとの親神様の思召に応えて己を捧げ、そのお心に溶け込んで、それぞれに割り振られた役割を果たされた。そこに、陽気ぐらし世界への第一歩が踏み出されたのである。
 かぐらづとめは、その元初まりの道具衆の働きの理を、それぞれ手振りに表して勤めるのである。したがって、おつとめが一手一つに勤められるべきことは言うまでもない。
 一手一つということは、お互いによく口にし、また耳にもする。その意味では、お道の誰もが最も慣れ親しんでいる言葉の一つだろうが、実際に一手一つになることは、たやすいことではない。
 まず、同じ一つの目的に向かうには、関わる者全員が、その目的を認識し、共有しなければならない。また、一人ひとりが自らの役割を心得、果たすとともに、お互いの関係を承知し、連携することが必要である。
 お道にあっては、諸々の活動や教会など種々の組織は、すべて世界一れつをたすけて陽気ぐらしを実現するという共通の目標を目指すものである。その同じ目標に向かって、それぞれが持ち場立場の役目をしっかり果たすとともに、足らぬところは補い合い、たすけ合って、全体としての使命を達成できるよう努めることが大切である。
 ややもすると、時が経つにつれ、また規模が大きくなるに伴って、当初の目的が疎かになったり、相互のつながりが弱まったりすることもありがちである。折にふれて原点に立ち返り、本来の目標を確認し、ずれを点検することが必要である。元初まりの道具衆のお働きに倣い、また、おつとめを一手一つに勤めることを通して、一手一つの精神を身につけたい。



お言葉は何一つ、過不足なく、すっぽりと受け取らせ頂いたら良いのですが、私なりに言葉を足して思案したいと思います。

人間の第一歩は、引き寄せられた道具たち全てが、神の思召に素直に溶け込んで、一つになることから始まりました。なるほど、人間の身体は、色んな働きが、上手く関連しあって、一つになっていますね。

 そして、それは人間世界での生き方の見本でもあるのですね。

 例えば、夫婦でも、親子でも、家族でも、役割があります。また、学校、地域でも、それぞれに役割があります。
 そして、私たちが生活する中心とも言える、『職場』で、それを発揮していくことが必要ではないかと思います。以前働いていた職場で、上司と馬が合わず、意見をしては通らずに愚痴を言っていた方が居られました。私は、どちらの意見も正直分かりました。しかし、彼女に『私は同じ仕事するなら、楽しくしたい!それがもっとー』と話しました。そしたら、『☆み☆さんは大人だね~』って彼女が感想を言ってくれました。 その時、このような事が解っていたら、彼女にもっと分かり易く、上手くいく方法を伝える事が出来たと思います。その後、彼女は辞職して、スキルアップの道を辿り、その過程で成長されていかれたようです。
 組織(会社や施設etc)というものには、理念や目的があります。それをスタッフ全員が認識し、同じ方向に向かって、それぞれの仕事を責任を持って遂行します。そこに目的を達成する可能性が出てきます。ところが、人間関係というのは、難しく、とかく、我が身を省みず人を非難したり人のせいにしたりしてしまいがちです。そして、関係がもつれ、結局、仕事が滑らかに回らず、それぞれがしんどい思いをして、結果的に組織もうまく立ち回らず、悪循環になる・・・・なんて事があるのではないでしょうか。

 『一手一つ』という言葉はお道の言葉ですが、実は世の中で、実践されなければならない事なのですね。
教えと、一般社会と、切り離して考える方や世界が違うと言う方が居られると思うのですが、私は、実は一般社会でこそ、この教えを実践するべきなのだと思うのです。
 真柱様は『お道にあっては』・・・と述べられていますが、一般組織でも同様だと思います。
特に一般社会の組織の長に立つ方や上役の方は、そのあたりをしっかり認識しておく必要があると思います。

 そして、最後の一文の『おつとめ』のくだり、『一手一つ』という、人間ではなかなか到達しにくい事柄であるので、『おつとめ』を教えに沿って、それぞれが心合わせて、勤める事で成人し『一手一つ』ひいては『陽気ぐらし世界の建設』に辿りつけるのかも知れません。『おつとめ』が大切という事はもう、周知の事だと思うのですが、なぜ大切かと考えた時に、このような説明が出来ると思います。故に『せかいだすけのつとめ』『ようきづとめ』『命を切り替えるつとめ』などなどと呼ばれるのでしょうね。

                                                           ☆み☆
 
※田鶴ブログⅡ 『みんなで一緒に』も良かったら覗いて下さいね♪♪♪
 
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by tazuru-kyokai | 2013-02-07 17:17 | 求道・教理 | Comments(5)

Commented by 一手一つ at 2013-02-08 13:41 x
どんな山坂あるやら分からん。何程通してやろうと思えど、神一条の道を忘れては、山坂ころっと落ちにゃならん。このやしきたすけやしきといえど、めん╱╲の心の差違に重なれば、どんな災が有るやら分からん。遠く所は遠くの理がある。一時聞いて我々理を拵えるなら返してやろう、積んでやろう、出してやろう。・・・・・・
知らず╱╲の道、分からず╱╲の道、みす╱╲の道ある。これ三つ出掛けたらどうもならん。盛ん程めん╱╲心静めて掛かるから盛んと言う。心の理があれば勝手の道と言う。勝手の道は盛んとは言えようまい。暗がりの道が見えてあるから、諭さにゃらん。しっかり皆に傳えて治めてくれ。・・・
            (おさしづ 明治24.7.24)
Commented by 一手一つ at 2013-02-08 14:01 x
めいめいに勝手の心が出ると、暗がり同様になり、山坂からころっと落ちなければならないようになるので、危ないと言われます。会町の初代会長様は、「『神の道を人間がままにするのが、これが残念やで。この残念返したことならば、待ってしばしが無いからこれを承知してくれ』と神様がおっしゃった」と言われました。
知らず知らずに間違った方向へ行ってしまうこと、わかろうと努力しないこと、そしてみすみす大事なことを見落としてしまうこと。この三つが出てきたら、どうにもならないと言われます。神一条のことは、真剣に、それこそ命がけで取り組むべきでしょう。
一同の心がチグハグでは、どんな災いがあるかわからない、とも警告されていますから、なんとかみんなが一手一つになるよう、一生懸命、努力しなければなりません。常に親神様・教祖の思召しからものを考えるようにし、絶えず「世界一れつ余さずたすけたい」という親心を心として、互い立て会いたすけ合うべく努力すれば、不思議なご守護が頂けることになるのですね。
           (おさしづに学ぶ)より引用
Commented by ☆み☆ at 2013-02-08 18:50 x
一手一つさん
『おさしづ』の勉強、ありがとうございます(*´ω`*)

一見、厳しいように思いますが、『自分だけ幸せだったら良い』『家族だけ幸せだったら良い』『周りだけ幸せだったら良い』『日本だけ良ければ良い』・・・・・なんてものでは無いですもんね。

『世界一れつ余さずたすけたい』という親心からの事・・・やはり安易なものでは無いでしょう。
しかし、この親心に適うものなど無いと思います(´∀`)
Commented by 一手一つ at 2013-02-08 22:03 x
にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもをてしやんしてくれ     (四 34)

人間でも我が子は可愛いものであろうが、それから推しても、人間の親神が、如何に一列の人間を可愛く思い、救けたいかを、推し量ってくれ。となると思います。
☆み☆さん、自分の子供が可愛いでしょう。それと同じじゃないですか?
『親神様』の親心って・・・
只違うのは、親神様は、「世界一列みな兄弟姉妹」で親は『親神様』のみ、☆み☆さんは3人、katsukatsuさんは4人 の違いで、重さは同じじゃないですか?
☆み☆さんは充分適ってると思いますけど。
Commented by tazuru-kyokai at 2015-07-15 07:30
一手一つ
について、少し調べたので掲載させて頂きます^ - ^


天理教用語:一手一つ とは?
おさしづに
一手一つという、これが第一理である。心の理と道の理としつかりあわせてくれにやならん (明治三五・七・二〇 おさしづ)
とありますが、親神様は皆が心を一つに天の理にあわせていくことが最も肝心であるということを強調されています。

おさしづではさらに、
みな一手一つの心なら、一手の守護するわい (明治三八・五・一六 おさしづ)

と仰せ下さいます。


「一手一つ」になることは、信仰上最も大切なことです。
「一手一つ」の理があるかないか常に心を顧みて、くらすことが大切です。

真の「一手一つ」の理は、神を信じて人をたすける心になるところに、自ら生まれてきます。


と、ありました。

今までなら、
一手一つ(いってひとつ)」 …天理教の用語で、各自が、それぞれ立場やつとめる内容は違っても、一つの目的に向かって、 心を揃えて進むことです。
と言うような内容で教えて頂き、そう理解できしていましたが。
それが、心の理と道の理をしっかり合わせないといかん。と。つまり、親神様の想いに沿った、道の理(ことわり)に沿った心で、揃えないといけないと。
いくら同じ目的をもっていても、それが親神様の想いに沿って無ければこの道の信仰者の『一手一つ』とはならない訳ですね。

成る程なぁ。と思いました!

神一条でいくには、やはり、三原典に振り返る事が大事ですね!
そうしないと、本当に親神様の伝えたい事が、理解、認知、出来ないと思います。
間に人間思案が入りますから。。。
私は道の信仰者であり、天理教組織を信仰している訳ではありませんからね^ - ^
親神様、おやさまに一条です。

皆さんも三原典を改めて、じっくりと振り返りませんか??



☆み☆